震災から12年経ちました
こんばんは、瑠璃です!
東日本大震災から12年、いつかのブログで震災時のことを説明したと思うんだけどどの記事だったかな・・・。
その時のブログは震災でつながらない携帯電話でやっと会えた彼氏(現夫)と私のアパートで一緒にいるはずだったのに(週末だから泊まり)友達とご飯行きたいからと言われ、そこから自分の感情が爆発してしまった話をしたかな・・・?
地震当時は仕事していて皆のおしゃべりに入れない私は(笑)一人で黙々と作業していました。
その時に起きた地震。
一番に気付いた私は地震に気付き、お喋りに夢中な社員さん達に
あ、あのっ...これ、地震ですか...?
と伝えた訳です。
みるみると強くなる地震に食堂に避難した私達。
テレビに映し出されていたのは地震の緊急速報でした。
それからは皆んながニュースに釘付け。
うちの地域は震度4でしたが、自分の会社の商社が福島辺りに行ったんでしょうね。
ひっくり返ってる光景が映っていました。
津波のニュースを何度も見て心が痛みました。
現地の人にとっては見るのも苦痛だと思います。
震災翌日はよく晴れた日で暖かったのをハッキリと思い出します。
彼とは前日喧嘩しながらも結局一緒にいる事となり、翌朝も出掛けました。
そう、うちの地域ではいつもと変わらない日常だったのです。
そのテレビとのギャップに戸惑いましたがやはりどこか他人事で自分達の生活を普通にしてしまっていたのです。
私の地元では3月が成人式で、地震の影響で交通の関係なのか5月に延期になりました。
その為震災数日前に生まれた彼の兄弟の子を見に行く日が成人式の前撮りとなりました。
彼兄弟もきっと自分の子が生まれた数日後に巨大地震が来た、って言うのは思いもよらないし忘れられない記憶となってると思います。
今はYouTubeでも数々の動画があり、震災近くなると忘れない為にも必ず動画を見ます。
そして必ず涙します。
単に津波の恐怖と、亡くなられた方の「痛かっただろう、苦しかっただろう」と言う思い、そして残された家族の悲痛の思いは私では計り知れないのです。
いまだに見つかってない人達がいます。
ありえない数の方が亡くなっております。
ご冥福をお祈りします。
この傷が被災者達にも視聴者にも癒えることはないと思います。
だからこそ毎年この時期に風化しないように映像を見たり被災者の思いのコラムなど拝見して向き合っていきたいんですよね。
ボランティアなども中途半端で何も出来ない奴ですが。
今後も南海トラフなんて言ってますし、災害対策は自分からでもしようと思いますね。
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