生活は別
こんにちは、瑠璃です!
キッチンが別になっても共通の部分があるのでコソコソと生活している私。
自分の家なのに伸び伸び出来ない、と言うか自分の家だとも思いたくない泥沼な考えを持った時期もありました。
嫁は所詮嫁なのです。
でも生活が別になって数年、農業以外はやっと自分達の生活になったなと言う感じがします。
まずは前も言った、お裾分けが減ったこと。
お裾分け?嬉しいじゃん!って思うじゃん?
例えば毎日職場の人から、毎日隣の家の人からお裾分け貰ってみなよ。
相手は喜んでほしくてやってくれてるけど、受け取る人は毎日「は」しんどい。
物事には「適度」ってのがあってだな...。
そして跡継ぎについて。
同居してるからには夫が跡継ぎになるのだけど、家を継ぐ以外にも農業はどうするのか、地域事は?名義は?まだまだ曖昧な状況です。
皆さんはいつから世帯主が代わったり名義変更したりしていましたか?
そう言えばそんな話を職場の人としたような...。
あの頃は私もまだ20代でそんな事考えたことも無かったな...。
リビングの代替わりとかも話してたな...。(リビングの代替わりって言葉初めて聞いたよ、確かに実家では18時以降になるとジジババは寝て、父母が独占してたな...義実家も嫁いだ時から義父母がリビングにいておばあちゃんはすぐ部屋に行ってた)
でもその人は当時30代半ば、このくらいの歳で代替わりしてたって言ってたな。
そう思うと今年は33歳!?もう30代半ばになるやんか...。
そう言うの今まで何も話してなくて、まだ義父が70代入るまでは特に何もないんじゃないかなぁ...。
で、地域の集まりも今は基本義父が行っており、見る限り代替わりしてないそうです。
単におじいちゃんおばあちゃんだけの世帯だったり、まだ子供が若かったりするのかもしれませんが私達世代の人が出てくる家庭ってないんですよね。
だからまだ義父母と一緒にいた時は夫に
お前が行ってこい
と言ってました。
毎度の事だったので毎度の返しに夫が
他の家の人いってる!?若い人いないでしょ!?
と反論していたのです。
そして有耶無耶になり義父が行くと言う流れでした。
ですが前回の集まりの時、たまたま玄関で会った義母と違う話をしていたのですが、
次の休みの日お父さん仕事だから私が地域の会議に出るんだ
と10年一緒にいて初めて聞きました。
特に夫に頼む事もなくその日が来ました。
夫婦協力できることはしてほしいです。
お年寄りは大切に、なんて言うけど今時の60代70代の方もジム行ったり散歩したり健康に気を使ってるんだなと思いました。
意識ってのは大事で「歳はただの数字」ってYouTuber言ってたな。
いずれ我が家も代替わりするのは確実で、でも健康なうちは何とか義父母も私達も夫婦で支えて生きていけたらなと思います。
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