子供の頃からの思いは抜けないものである
こんばんは、瑠璃です!
ざっくり実家のことについて話したこともありましたが、実家での生活について書きたいと思います。
実家は当時6人家族でした。
そして厳しい家庭でした。
「毒」が付くか?と言われると当時はそんな言葉が無かったので分かりません。
最近のSNSでは親に暴言吐かれた、叩かれたなどあるので「毒家庭」の境目が分からない状態なのです。
一番強かったのは祖母。
自分の意見を押し通す人でした、自身が間違っててもです、それを自身が自覚してもです。
でも親はへこへこしてたんですよね。
確かに私の面倒を見てくれたのは祖母だし、ご飯も作ってくれた。
洗濯もしてくれて私は何不自由なく暮らしてたんです。
なのに感謝一つできない私、そりゃあ関係も悪化するわ
常にひねくれてる感じ。
で、私が仲良くしてる友達の話。というか門限の話になります。
一人は近所の幼馴染み。
年齢が一緒と言うこともあり、毎日のように遊んでました。
またばあちゃん同士も当たり前に顔見知りなので厳しい祖母も、その子なら、と快く出してくれました。
ですが学年が上がるうちに友達付き合いも変わり(クラスも変わるしね)地域の違う子達と遊ぶようになりました。
うちは小学校でも中学校でも通学が一番遠いような地域で、友達の家に遊びに行くと言っても自転車20分以上かかりました。
そしていつもの溜まり場?が20分先と30分先の友達の家でした。
何が言いたいかと言うと
小学生~高校生まで門限一律5時半できつかったです。
小学生なら分かるし、その頃はもう少し早い門限だったかと思います。
ですが、それが高校生までは中々辛い。
だってまず行き帰りだけで一時間弱ですから。
友達と遊ぶのは基本午後で昼御飯食べたあとに行くので一時に間に合うように段取りします。
一時に着いて4時間は遊べますよ、こう見ると長いですよね、充分ですよね。
だけどあっという間なんですよ。
てかこの前子供の友達と遊んだけど、10時~夕方5時まで遊んで「あ~満足した!」って子供も言うくらいですからね(笑)
それなら4時間なんてあっという間だろうよ。
その門限がずっと続いたので社会人なっても今でも5時過ぎるとドキッとします。
まあ今はあれから15年ほど経ってますから段々縛られた感覚から薄れていくとは言え、
こんな時間に帰ってきて義父母何か思ってないだろうか、そわそわ、人の顔を伺うようになりました。
何か言われたら怖い、もう5時だから帰らなきゃ、結構そう思う日がありました。
もちろん義父母が何か言う訳ではないのですが、昔からの感覚が消えなかったのです。
だから今の生活が別、キッチンが別ってかなりいいと思います。
帰ってきても顔を合わせないので何か言われることもない。思われることもない。
ただ完全にこの感覚が抜けた訳ではないのです。
幼少期に培ってきたものはいつになったら楽な思いになるのでしょうか…。
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